あまりにも早く

雲が流れるものだから

太陽の存在を忘れて

 

雲の切れ間から見えたその光に

愕然とした

 

 

「あついなぁ・・・・」

空は厚い雲に覆われていて、射すものは何もないけれど

あたりを重苦しく覆う空気はべたついて仕方なかった。

「忍足・・お前、それ何度目だよ。」

宍戸は隣に座り込んでいる忍足をあきれたように見ている。

「あついものは、あついんやから、しゃあないやろ。」

「言ったからって涼しくなるもんでもないだろ。」

「あー、あつい。」

「てめぇ・・・」

 

結局、このやりとりさえも何度目なのか忘れてしまった。

 

「そういえば、台風どうなったん?なんかこっちきてるような感じやったけど。」

「結局、それたらしいぜ、だいぶ西側よりに進路変えてるってニュースでやってた。」

「なんや・・雨でも降ればもうちょい涼しくなるのに。」

「まぁ、この無駄に生暖かい強風もその台風の影響なんだろうけどな。」

「いっそ、無風の方がましやな。」

「あぁ・・・」

 

額の汗をぬぐった。

にじんだ汗は、身体にはりついて。

まるで身動きができなくなるような錯覚にさえ陥るほど。

 

「・・・あー・・・」

 

また同じ言葉が口をついて出そうになったのを、自然と飲み込んだ。

座り込んでいた二人の上に、ふいに影が指したから。

 

「宍戸さん。」

随分と聞きなれた声だったから、見上げなくてもわかってしまった。

「なんだ?長太郎。」

宍戸だけ、上を見上げて彼の名前を口にした。

「ちょっと、サーブ見てほしいんですけど、いいですか?」

「この、クソあついのに、よう練習する気なるなぁ。」

忍足が苦笑しながら鳳を見上げた。

「練習してると気にならなくなりますよ?」

彼は屈託なく笑った。

「余計、気になるわ。」

「ウダウダしてても仕方ねぇしな・・・よし、いくぞ長太郎。」

宍戸が勢いよく立ち上がった。

「若いねぇ、青少年。」

忍足は立ち上がらずにふたりにひらひらと手だけ振る。

二人が駆け足でコートの方に戻っていく足音だけ下を向いて聞いた。

「あー・・ほんまにあついわ・・・」

そう言って見上げた空には、まるで空が落ちてきそうなくらいの厚い雲が張っていて、

いつもなら心地よく聞こえるボールの音にもイラだって

手に負えない、自分の状態に失笑した。

 

この重苦しい空気を一掃する術を忘れてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

「調子いいみたいだな、長太郎。」

ぬぐう余裕さえない汗が、足元にシミを作った。

「速度をのせると、まだ軌道がずれちゃうんですけどね。」

「まだまだだな。」

「ですね。」

宍戸はラケットで鳳の頭を軽く叩くと、辺りを見回した。

「あれ?そういえば忍足のやろうどこいったんだ?」

「さっき、部室のほうに歩いていくのが見えましたけど。」

「ダブルスで試合しようと思ったんだけどな。」

「あ、じゃあ、俺、呼んで来ますよ。」

「おう。」

宍戸がコートの外側にはけるのと同時に、彼は部室の方に小走りで向かった。

誰もがこの空気に不快な顔をしているのに、彼だけは

とても涼しそうな顔だから、それがおかしくて少し、笑った。

 

 

 

 

 

 

 

「・・たしか、この辺に置いたはずなんやけどなぁ。」

少し蒸し暑いその部室で、忍足はうろうろしている。

そして、ロッカーの上に置いてあるすすけた段ボール箱を下に下ろした。

「お。あった、あった。」

随分と開けられていないその箱から、物を取り出す。

「忍足先輩?」

丁度、その瞬間に鳳が入り口からひょっこりと顔を出した。

忍足はその取り出したものに夢中で、気づいていない。

「先輩?何してるんですか?」

鳳が随分と近くによった時点でようやく気づいた。

「わっ・・なんや鳳か。」

「何、サボってるんですが・・監督に怒られますよ?」

「監督は出張、跡部は生徒会会議。」

「わぁ・・確信犯。」

「あたりまえやろ。」

「なんです?それ。」

手元にある古びた黒いものを指差した。

忍足は自慢げに笑って、差し出す。

「俺のお手製ラジオ。」

「・・・ラジオ・・・ですか?」

「去年の夏休みの課題でな、なんでもいいから作れって言われて、作ったやつ。」

「へぇ。」

「本当は嘘発見器を作る予定やったんけど、時間がなくてな。」

鳳は不思議そうにそのラジオを見る。

「でも、なんでそれが部室に?」

「持って帰るのがめんどくさくて、部室の置きっぱなしにしてた。」

「あー、なるほど。」

忍足の性格を知るものなら、誰もが納得してしまう答えだった。

そのラジオのほこりをはらって、コンセントを差し込んだ。

「でも、急になんでラジオなんて・・」

「なんとなく・・な・・台風ニュース気になって。」

つまみを回しながら、一生懸命、周波数を合わせる。

「先輩って、そんなに天気のこと気にしてましたっけ?」

「いや、別に気にしてへん・・普段は。」

「なんか台風が来るとまずい予定でもあるんですか?」

「別にないけど・・むしろ来てくれた方が涼しくなってありがたいやろ。」

「もしかして、それだけの理由で?」

「なんや、文句あるか?」

鳳は苦笑して、わからないようにため息をついた。

(携帯で台風速報とかすぐわかるのに・・)

そういいかけた言葉を飲み込んだ。

きっと、彼はたいくつで、そのたいくつをしのぐために

ここまで回りくどいことをしてるのだろうと、なんとなくわかったから。

 

「あ・・ちょっと聞こえだした。」

忍足は耳をスピーカーによせる。

 

『・・・・台風4号の影響で・・・』

「あ、ちゃんと聞こえる。」

「お前、馬鹿にしてるやろ。」

「いえ、そんなつもりは・・・」

 

『・・・の全便は欠航・・・』

「ところどころしか、聞こえませんね。」

「そやなぁ・・」

 

『・・・暴風域を抜け・・関東からは次第に遠ざかり・・・』

「あ、遠ざかるって言ってる。」

「最悪やな、雨もふらんし。」

 

『・・は、おおむね晴れの天気に・・・・でしょう』

「晴れ・・みたいですね」

「はぁ・・・。」

 

忍足ははぶてたように、ラジオのコンセントを引き抜いた。

「かなわんわ・・明日もこの天気か。」

「でも、きっと今日よりはすごしやすいですよ?」

「ほんとかぁ?」

 

鳳はにこりと笑って。

「だって、台風の過ぎた後は、いつもいい天気じゃないですか。」

 

目の前に雲ひとつない青空が、広がって。

そんな光景が目に浮かんだ。

 

「どっちにしろ、あついやろ。」

「まぁ、こんなにべたべたした日よりましじゃないですか。」

「そういえば、お前、俺になんか用があったんやろ?」

「あ。」

 

鳳が慌てたように、忍足の肩を揺らした。

「宍戸さんがダブルスの試合したいからって言ったんで、呼びにきたんでした。」

「あーあ・・宍戸待たされるの嫌いやからな・・怒ってるで。」

「先輩、急ぎましょうっ。」

「こんな日に試合なんか、したくないわ。」

明らかにやる気のない忍足の肩を掴んで。

「こんなに待たせて、先輩連れて行かなかったら、俺が殴られます。」

「いいやん、殴られとけばぁ。」

「お願いしますっ。」

あまりにも真剣な顔でたのまれるものだから、重い腰を上げてしまった。

「先輩、早く、早く!」

鳳は先に部室の外に飛び出している。

「わかったって。」

めんどくさそうに、外に一歩踏み出して。

 

台風が過ぎ去っていくその、暗い空を見上げた。

厚い雲が、風の勢いに押されて、早いスピードで流れていくのがわかる。

どんどん押し流されていくその雲のすきまから、うつろげな光が差した。

 

「あ・・・・」

 

思わず声を上げた。

立ち止まって。

 

「先輩、何してるんですかっ。」

 

痺れを切らした鳳が、忍足のとこまで戻って、その手を掴んだ。

「なぁ、鳳。」

「なんです?」

「太陽って・・出てたんやな。」

「は?」

「さっき、雲の間から光指しよった。」

 

鳳は今度はわかるようにため息をついて。

「昼間なんですから、太陽は出てるに決まってるじゃないですか。」

「暗かったから、気づかんかったわ。」

 

そう言って、もう一度空を見上げた。

 

もうその光は見えないけれど。

次第に薄くなっていく雲の上からは、太陽の存在を感じられた。

 

「早く、いきましょうっ。」

鳳は忍足の手を取ったまま、駆け足でグランドに向かいだした。

 

たとえば、その手の温度とか。

この重苦しい空気を一掃する術を、ようやく思い出した気がした。

 

 

 

あまりにも早く

時間が流れるものだから

気持ちを隠して

 

厚い雲から見えたその存在に

呆然とした



「その空の存在と」
END

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