その 安心感
「ノーコン。」
まだ未使用の雑巾を鳳に向かって放りながら、忍足はもう一度繰り返した。
「ノーコン。」
「何度も言われなくても、聞こえてます。」
鳳は少しはぶてたような顔をしながら、その雑巾を水で濡らした。
「フォルトばかり出しとったら、勝てる試合も勝てん。」
「はいはい、すいませんでした。」
「なんや、その態度・・誰のせいでこんな居残り掃除を・・」
ホースを引っ張りながら、彼を睨んだ。
「試合負けたら、掃除当番代わってやるって言い出したのは先輩じゃないっすか。」
「だからって、なんで俺とお前がダブルスやねん。」
「それもあなたが、いつもと同じメンバーじゃつまらないからって言い出したからです。」
鳳の肩をがっと組む。
「お前、最近、生意気になった。」
「そうですか?先輩方の背中を見て成長してる証拠じゃないですかね。」
「かわいい後輩やったのに・・・」
「早く終わらせないと日が暮れちゃいますよ。」
「うっさいわ。」
元々、遅刻常習犯の罰としてその教室の窓掃除を言いつけられていたのは岳人だった。
それを試合に勝ったら代わってやると言い出したのは忍足で。
もちろん、勝つとゆう自信があったのだけど。
「宍戸には、明日昼飯おごらなあかんし・・ほんと最悪や。」
相変わらずぶつぶつ言いながら、ホースをひねる。
まだ少し巻いているホースから水が勢いよく、溢れ出した。
「宍戸とやったら、確実に勝てとったのに。」
思わずそんなことまで口走る。
忍足は失言だったかなとさすがに思いながら、ちらりと彼のほうを見た。
それに気づいたのか、同じようなタイミングでこちらを見て
ちょっと悲しそうに、笑った。
「ほんと、すいません。」
それを見て、本当に失言だったと後悔した。
片方の手で頭を掻きながら、目をそらす。
「本気に、すんなや。」
「いえ、でもノーコンなのは本当ですから。」
「ただのノーコンならレギュラーなんてなれるわけないやろ。」
「なぐさめてるんですか?」
「あほか。」
忍足はホースの先を捕まえると、窓に向かって水をかけた。
「ダブルスやねんから、俺のほうにも負けた原因があるってだけや。」
「あぁ、それはあるかも。」
水をかけられた方の窓を拭きながら、忍足の方を見る。
「俺、忍足先輩が気になってフォルト出しまくりましたから。」
そう言いながら見た眼差しは真剣で、目をそらせない代わりに
水を顔面に放射した。
「ちょっ・・先輩!」
「俺のせいにすんなや、あほ。」
わりと真剣にそうゆうことを言うから
手に負えない。
「かわいいこと言うても、何もしたらんで?」
「水はかけられたんですけどね。」
濡れた髪からぽたぽたと水滴が落ちる。
「お前のあの捨てられた子犬のような目が悪い。」
「捨てられた子犬?」
「自覚がないから、さらにたちが悪い。」
「はぁ・・・。」
全部の窓に水をかけ終わり、今度は雑巾に持ち替える。
「長太郎、お前内側から拭いて来いや。」
「え、内側の掃除もですか?」
「ああ・・分かれてやったほうが、はよ済むやろ。」
鳳は何も言わず、少し足早に入り口のほうにむかっていく。
あたりは夕暮れに染まって、拭きあがったほうの窓には赤い夕焼けが
反射して見えていた。
それを見ているうちに窓の向こう側に鳳の姿が映る。
お互いに同じ窓を内と外から拭きあう。
日は沈みかけてるとはいえ、無風なその空間にお互いに汗がにじみでていた。
「暑いなぁ・・」
『こっちは中だから、蒸し暑いっす・・』
「なぁ、帰りアイスでも買うてかえろうな。」
『忍足先輩のおごりで?』
「・・・・ガリガリくんぐらいならおごったるわ。」
『ガリガリくん?』
鳳の手が少し止まる。
『それってハーゲンダッツの新作ですか?』
真顔で言われたから、やる気さえうせた。
「それ、本気で言うてるんやろうなぁ・・多分。」
『え?なんですか?』
「もうええわ・・このボンボンが。」
ため息を落として最後の窓に取り掛かる。
(そういえば跡部も同じこと言うて、宍戸キレとったな・・)
と思い出して少し笑った。
ふと鳳の手が止まる。
忍足の背中越しに見える夕焼けに目を奪われたのか、彼の目の中には反射した太陽が
赤々と燃えていた。
そんな姿を見て、こちらも手が止まってしまう。
それに気づいて鳳はふと、手のひらを窓に押し当てた。
その目はやはり赤を帯びていて、とても綺麗だったから。
「捨てられた子犬みたいな目。」
忍足もその手に自分の手を重ねた。
それを見て、鳳が少し笑った。
「まさか、お前。」
『はい?』
「一人でそっち行ったから寂しいとか思ってたんじゃ、ないやろな?」
『思ってないっすよ』
「じゃあ、なんや、その目は」
『捨てられた子犬は拾いたくなりませんか?』
忍足は手を離して、残り半分を荒々しく拭き終えた。
「誰が、拾うか。」
鳳も笑いながら拭き終える。
「さ、帰ろうや。」
『はい』
鳳が教室を出るのを見送って後ろを振り返る。
半分沈んだ太陽が、校舎を燃えるように赤く染めていて。
「かなわんなぁ・・・」
と一言だけぼやいた。
走りよってくる鳳を見て
昔拾った捨て犬を思い出したのは、言わないことにして。
「日常にある風景」
END
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